KanaOhtsuki * One day One picture

■大槻香奈の日記■

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

【NEWS】 大槻香奈個展「わたしを忘れないで。」The Artcomplex Center of Tokyoにて開催

dm-watasi

11月3日より東京のアートコンプレックスセンター地下ホールにて、大槻香奈の個展を開催いたします。
皆様ぜひお越し下さいませ。

■会期
2015年11月3日(火)-11月29日(日) 11:00-20:00
※11月9日、11月16日、11月23日 月曜休館 
※最終日は18:00 まで

[レセプションパーティー] 11月7日(土) 17:00-19:30 

■会場
The Artcomplex Center of Tokyo /アートコンプレックスセンター
〒160-0015 東京都新宿区大京町12-9 B1F artcomplexhall
TEL/FAX:03-3341-3253 (2F のギャラリー直通)
E-mail:info@gallerycomplex.com(作品について等お問い合わせはこちらまで)
web site:http://www.gallerycomplex.com

■入場料 無料

dm-watasi02

「わたしを忘れないで。」-中心を失った世界で-

2015年という今をどう語れば良いのか、正直に言うと困ってしまう。色々あったはずなのだけど、それらを口にしようとすると途端に何ともいえない疲労感をおぼえる。それはきっと、一見社会的にみえる問題の根底に、とある一個人の問題があらゆる形で潜んでいるのをどこかで感じ取っているからなのだと思う。今回の個展タイトルである「わたしを忘れないで。」という言葉はとても個人的な、ごく一部の人間にしか当てはまらない言葉だと思うかもしれない。しかしそれは最近の安保法案に対するデモ行進からも、LINEのいじめ問題からも、いくつかの放火事件からも、また日常的な人とのかかわり合いの中で生じる違和感からも、声にならない声として伝わってくるものがあった。それは「日本には強固な中心など存在しない」という事を物語っているように思えた。

日本の中心とは一体何だろうか。連想するのは天皇であったり、また抽象的に言えば父性や母性的な何かだったりするのだが、それがいま絶対的中心として機能している訳ではない。最近では日本の中心にあるのが必ずしも人ではないイメージがある。たとえば震災直後は、その事自体が国の中心として機能した側面があると思っていて、一瞬ではあるけれど日本がひとつになったかのように見える時があった。しかし時が経てば、人々の関心の向きによって、その中心はまた別のものに移動してしまうのだ。

強固な中心を持たないこの世界では、人は簡単にバラバラになり、気がつくと「ひとり」になってしまいがちだ。人は自分の存在を忘れられたくない為により強いアイデンティティを求めるようになる。それは特にSNSを見ていて感じる事でもある。誰かに忘れられたくないという気持ち自体は、生物的にとても自然な事だと思う。しかし本来小さな個人的感情でしかないものが大きな問題として頻繁に顔を覗かせるようになった今、中心を失った世界が内側から徐々に崩壊していく危機感をおぼえるのだ。震災から4年経ち、多くの人が普通の日常をおくるようになった今、じわじわと膨らむ現代の「空虚」さを簡単に見過ごしてはならない気がした。

良くも悪くも「空虚」と「平和」はとても近しい関係にある。都合の良いように頻繁に中心が変化する世界は、良かれと思って私たちが選択してきた、ひとつの「平和」の形だと私は思う。それが良いか悪いかという事はここでは触れないが、その結果空虚が生じている事は確かだ。今の日本に生きる人達はおおよそみな空虚を怖れ、空虚から目をそらし、希望的なものばかりに意味を見いだし、追い求め、それでも結果的に空っぽな事に気付き、絶望しているかのようにみえる。特に中心の無いこの世界では、空虚に対して希望を生産するというアンサーだけでは、この先を生きていく事が困難なのだ。今の私たちに不足しているのは希望ではなく、おそらく「空虚と向き合う力」なのだ。そして言い換えれば、それが「平和を生きる強さ」なのだと思う。

思えば私自身2007年に作家活動をはじめた時から、作品を通して「空虚」を描いてきたのではないかと、今になってようやく気付くところがあった。例えば私の代表的シリーズである少女ポートレートは、特にそのことを表していると感じる。画面の中の少女の瞳から何かを読みとろうとするが言葉に出来ない、そんな感想を多く頂いた。現代的であるとも言われたりしたが、それは表面的な構図や色彩による影響ではないと思う。それは観た人がそこに「何も無い」という事を感じたからなのではないか、それで何も言えなくなってしまうのではないのか…と。少女ポートレートに関しては自分でも何故それを描き続けるのか上手く説明出来ないところがあったのだが、今は「空虚な時代に生きている」という事を描きたい、強い気持ちに沿ったものであると振り返って思う。そしてそれを描き続ける事は、何となく誰かにとっての救いになる気がしていた。

今回の個展は自分なりの「みんなで空虚に触れてみる」装置だ。そこで感じる事はきっと人それぞれなはずで、それは今の時代にとって、答えの「ある」ものから受け取って感じるものよりも、ずっと意味のある事なのではないかと思う。中心の無い危うい世界では、「空虚」さはある時ハッと気付くものであってはならないのだ。そうなってしまう前に、自らの意思を持って空っぽである事を確認してみるということ。何も無い側面を持っている「わたし」や「あなた」の存在を、互いにちゃんと忘れないでいること。それは空虚を共有するということであり、平和の形を確認する事でもある。平和とは空虚と向き合い続ける事なのだ。

自分の作品を空虚だと言って人に見せる行為は、たとえば自分が制作した木彫りの仏像を「これは仏様ではなく、ただの木だよ」と言っているに等しいものだ。自分でかけた魔法を自分で解いてしまうことになる。それは私自身も、また観る側にも、もしかしたら辛いものであるかもしれない。けれどもそれで良いのだ。それでも「空虚」なものを愛しいと思えたり、また痛みであったり、何かを心に残すようであれば、そしてそれを誰かと共有する事が出来たら、それこそが人生の中で本当に心強く、かけがえのないものになりはしないだろうか。そしてそれは、これからの時代を生き抜いていくヒントになるはずだと思う。

希望を語りすぎた故に取り零してきたもの… 今回その欠片を拾えるようであれば、そして作品のどこかで様々な「わたし」の姿を再確認するきっかけになれたら、作者として幸いに思う。

2015.9 大槻香奈

:::

【ゲスト作家】
maruoka

丸岡和吾 -Kazumichi Maruoka-

1978 年広島県生まれ。髑髏作家。
東京を拠点に活動する。
髑髏や骨をモチーフにした陶器、ドローイングや インスタレーションなど、死をテーマに様々な 表現を展開する。

niimi

新見麻紗子 -Masako Niimi-

1985 年千葉県生まれ。陶芸作家。
2009 年に京都精華大学芸術学部造形学科陶芸分 野卒業、若手陶芸家集団IKEYAN☆オーディショ ンにて新人メンバー選出される。
2010 年に京都市産業技術研究所工業技術セン ター、陶磁器コース本科修了。
化学変化により複雑な発色・反応する窯変釉薬を調合し制作。 真珠のような繊細で美しい色彩と淡く儚げな作品群。

Top

HOME

09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

作家 : 大槻 香奈

Author:作家 : 大槻 香奈
美術作家/イラストレーター
お問い合わせは以下の大槻香奈Webサイトよりお願い致します。

http://ohtsuki.rillfu.com

2243277_3246444182_bigger.jpg


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。