KanaOhtsuki * One day One picture

■大槻香奈の日記■

memo-05

愛知らないけど親友


「悲しさ」の種類っていっぱいあって。難しいのは、
言葉で表現し辛い類のものって自分の中でどう決着つけたらいいのかわかんないよね
ってことで、そんな悲しさを絵でならハッキリ表現できるかしら、と日々思っているのですが。

とある女性の方から頂いた私の絵に対する感想の中で、

「絵を観たときに、女子学生だった時の切なさを思い出した。
いじめられたから悲しいんじゃなくて、決して嫌な事があったから悲しいんじゃなくて。
クラスに色んなタイプの女子がいて、教室の中でそこに自分がいて、なんというか
自分を含む周りのみんなの制服のシャツのたるみ加減を思い出すような。
そういう類の切なさを思い出した。」

みたいな事を言って頂いて、文章にすると意味不明に聞こえてしまうかもしれないけど、
実際その方と会話をしている時に、その表情や言葉の発し方から
その方が言っておられることは非常に私の心と近いところにあると感じて、
それがまさに私の絵を描く動機になっているような部分をついていて、
ただただ「あぁ~…」と何度も心の中で深く頷いたことがあった。


女子って行動に矛盾がある事をよく指摘されるけど、私が思うにそれって全部、
女子が「少女」としての自分と、子供を持つ「母親」としての自分という
全く違う性質を同時に、本能的に生まれながらにして持っているからだと思っていて。
「少女」としての自分も「母親」としての自分も、思春期の女の子にとっては両方大事で
譲れないものだからこそ、結果的に矛盾が生じてしまうんじゃないのかなあ。

もし社会というものがこの世に存在しなかったら、女子は幼い頃から
自分自身が子を持つ母親になることを前提に行動していくんではなかろうかと思う。たぶん。

本来そういう自然現象的な事は全て感情でコントロールできるものでもなくて、女子にとって
「母親になりたい」ってのは幼い頃から自分が自覚できないほど心の奥底で
皆感じているはずだと思っていて。
それは自然物としてごく普通の、あたりまえのことであると思うのだけど、
そこに「社会」が関わってくると、自然現象を受け入れていく事をしてはいけないケースが多いわけで。
色んな文化や時代の流れの中にいると、社会の上での女性のあり方も変化するわけで、
家庭を持つにはお金の問題もあるし社会的な(仕事とかの)問題も関わってくるわけで、
そういう機械的な考え方から、本能的な母として子供を守るための考え方に繋げていく過程の中で、
社会の中で生きていくうえでの苦しみが伴うのは避けられないような気がしていて。

そのことを大人の女性が悩んでいるかといったら、あまりそうではないような気がしますが、
まだ母になるには若い体で、まだ社会がどんな場所なのかもよくわからぬような
不安定さを持つ思春期の少女達は、実はそういうことを無意識に感じているゆえに
少女特有の不思議な切なさを生み出すのではなかろうか、と思いました。
10代っていろんな事に敏感で、心が繊細な時期なので特に。


そんな彼女達に大丈夫よって言えるような絵が描きたいなあーと思う。

幼い彼女達が母としての自分を見つける事が出来たのなら、どんな事も強く乗り越えていけると思う。
実際に子供産む、産まないは別として。
誰かの親になるって事を考えるだけでもいいと思う。
小さい頃女の子がお人形遊びをするように、
誰かの頭をそっと撫でてあげたい気持ちを持つだけでもいいと思う。

私はこの先、全ての少女達は何の心配もいらないと思うのです。

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作家 : 大槻 香奈

Author:作家 : 大槻 香奈
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http://ohtsuki.rillfu.com

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