KanaOhtsuki * One day One picture

■大槻香奈の日記■

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■NEWS(25)■ 南綾子「ベイビィ、ワンモアタイム」挿画

ベイビィ、ワンモアタイムベイビィ、ワンモアタイム
(2009/01/30)
南 綾子

商品詳細を見る


角川書店より発売される、南綾子さん著「ベイビィ、ワンモアタイム」の挿画に
大槻香奈の作品を使用していただきました。

■内容紹介■

コールセンターに勤務する単調な生活。
自分には何にもないと認めたくなくって、温子は女子アナなりきりブログを書いている。
ブログだけだったはずのちいさな嘘、それが次第に膨らんで。。

何者かになりたい。こんなはずじゃない。
愛を求めあがく、若者のリアル。

危うい青春をスピーディに描く 。


■著者について■

みなみあやこ 1981年愛知県名古屋市生れ。
2005年「夏がおわる」で第4回「女による女のためのR18文学賞」大賞を受賞。
本作は「ほしいあいたいすきいれて」として新潮社より07年刊行。

・・・・・・・・・・

大槻香奈も一押しの小説です。面白い。
美しい仕上がりになりましたので、みなさま是非お手にとってみて下さい。

出版社: 角川グループパブリッシング
発売日: 2009/1/30
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■NEWS(24)■ 大槻香奈 東京個展 「生み出す無」

dm


■大槻香奈 個展 「生み出す無」開催■

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長い長い尾を引いて、あの日のわたしはここにいる

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2009年 2/24(火)>> 3/1(日)

場所 : The Artcomplex Center of Tokyo
開館時間 : 11:00~20:00 月曜休館 ※最終日は16時までですのでご注意ください。
オープニングレセプション : 2009年2月24日(火)18:00~20:00

その他場所などの詳細は以下のサイトよりご覧下さい。
http://www.gallerycomplex.com/index.html


●2009東京個展「生み出す無」について。

私達が生きて成長していくうえで、私達はひたすら物を吸収し拡大していくようで、
実は無に近づいているという事を意識させられる事はきっと少ない。

他者から意識させられる部分を除いて、また自分の過去にとらわれることなく、ひたすら自分を無にしていく。
そうすればきっと、私達は自分の中に変わることのない真実を見つける事が出来るだろう。
それはなんと強く、美しい事なのだろうか。

私の絵が、昔もこの先も変わることの無い真実を受け止める母のような存在であって欲しいと願いつつ、
今回はその想いを込めた作品たちを発表します。
みなさま是非お越しください。

2009年いま、イラストレーションについて思うこと。

いま、私自身イラストレーションをとても学びたいと思っています。
何とか自分で学ぼうと思っているところです。

そこで、自分にとってのイラストレーションとはいったい何なのか。
一般論から外れる事もあるかもしれませんが、今一度自分のために、
自分のアーティスト・作家という肩書きは今回置いておいて、
イラストレーションというものについてのみ、考えてみたいと思っています。

なぜ、一度過去にイラストレーターを辞めてアーティスト活動をしている私が
いまイラストレーションについてあえて書きたいと思ったのか。

その理由はこうだ。


まず、これからの時代が「絵画」を必要としにくくなるであろうという事で、
そのかわりに、本来の正しい意味での「イラストレーション」がこの先求められていくであろうという事を
思っているからです。

これにはいくつかの理由がありますが、絵画を必要としなくなるという事に関していえば、
資本主義である今の社会の上では、世界恐慌などを含めさまざまな理由により、職業として成立しにくい、
という視点で見ていただけたら有難いです。

お金の無い状況で、付加価値のみで売れるアート作品がやがて無くなる事は想像できます。
というより、既にそういう時代になっているとも言えます。

私はアーティスト活動をしていなければきっと生きた心地がしません。
そんな自分を情けないと思いつつも、それほど私にとっての絵は生きていくうえで重要な事なのですが、
いくらそうであっても、それを生業としてたくさんのお金を稼げるのかと言えばそれはまた別の話です。
アートを生業とする作家にとっては、これから辛い時代がやってくるでしょう。

何年後かにはこの金融恐慌は回復するという説がありますが、
今回はあえてその事は横に置いておいて、まずは今の時代を受け止めて考えてみたいと思います。
なぜならこの金融恐慌は逆に考えれば、ものづくりをする人達にとって、
本当に良いものを創りあげていくチャンス、だと私は考えているからです。



本題に入っていく前に、
ここではあえて「イラスト」と「イラストレーション」を全く別のものとして扱いたいと思います。

まず、これらは一般常識ではなく私自身が身勝手に考えたものである事をお許しいただきたい。
ここから話を進めていくうえで、ここで言うこの二つは似て非なるものであるという事を
まずは理解していただきたく思います。

ここで言う「イラスト」とは、
趣味絵のほとんどを指し、伝達の手段としても絵画としてもまず成立しないものを指し、
らくがきや、既存の漫画を真似た絵などがその例で、
絵によってある物事をわかりやすく「伝える」という目的を欠いたものを指します。

一方、ここで言う「イラストレーション」とは。
wikiで非常に明確でわかりやすい説明がなされていたので、ここに引用します。↓

・・・・・・・・・・

イラストレーションは情報を伝達する媒体のひとつである。
イラストレーションは目的に沿って描かれる絵であり、情報の図解という性格をもつ。
それはマスメディアを通じて社会の中で機能することを大前提としている絵であり、
グラフィックデザインの中の分野である。

・・・・・・・・・・

この説明はイラストレーション本来の意味でありますが、
現代ではその意味の幅は広くなり、もしくは違う意味になったと言ってもいいのかもしれないのですが、
限りなくアートに近いものがイラストレーションとして使用される事も多々あるゆえに、
アートなのかイラストレーションなのか、その境界線は近年ますます曖昧になってきていると思います。
現在刊行されている雑誌「illustration(イラストレーション)」をご覧になられた事がある方でしたら
その言葉の持つ意味の幅広さを理解して頂けるでしょう。
しかしここではあくまでも、本来の意味に限りなく寄り添って「イラストレーション」
という言葉を使用したく思いますので、
ひとつよろしくお願いいたします。



ところで、最近ふと気になる事がある。

近年、イラストレーションの枠が広がってきたのをいいことに、
「絵が描ける=イラストレーター」と名乗る人達が増えている事だ。

もちろん、誰に認められるでもなく自分で「イラストレーターです」と名乗っていかない事には
イラストレーターにはなれないし、仕事ももちろん来ませんが、
今日のイラストレーションを学んでいる学生達を見ていて、
また話をしていてとてもハラハラするのは、
好きな絵をたくさん描いて練習して技術が上達してさえいれば、
そして個性的であればイラストレーターになれると
勘違いしているのではないかと見受けられる発言の多さである。

「個性」という言葉に甘えていやしないか、と思う事も非常に多い。
「イラストレーション」のつもりが「イラスト」になってしまっている事の多さに気付くべきであるのに。



イラストレーションを学ぶ学生やそれを取り扱う学校のやっている事を見ていると、
私の知る範囲の中でいえばとてもじゃないが、
同じ時代を生きている同士だとは思えない事が多い。
今社会の中で起きている事が、自分とは全く無関係であってはならないのは皆もわかっている筈だと思うのだが。
こんな時代だからこそ明るく自由に描いていればいい、それは結構なことだ。
しかし、今後イラストレーターになりたいと考えているのならば、
イラストレーションのあり方として考えなければならない可能性は、
あくまでも自分の描いたものが今の社会にどういう形で関わっていくかという事なのだ。

それをしていなければ、イラストレーションを扱う専門的な学校と絵画教室との違いとは一体何なのだろうかと疑いたくなる。
専門的な学校は義務教育ではない、それゆえ自由な表現ばかりを尊重していては、
イラストレーションが本来持つ社会と密接に関わる力を生徒達が理解し、
また社会に出てからの自分のイラストレーションのあり方を学生のうちにリアリティーを持って考える事は、
生徒達自身が積極的に外に出て動き出さない限りほぼ不可能だろう。

学校とはそもそもそういうものかもしれませんが、高い授業料を払っているのに、
いつまでもそういう場所であるというのは寂しいことです。

少し話がずれるかもしれませんが、今の義務教育が昔と比べて
わかりやすい実益を生む事に直結するような安易な教育をしているだけに、
何が本当は正しいのかを考える力の不足であるとか、
また若者がしっかりとした自立も期待し辛くなっているこの状況の中で、
また絵というジャンルだけで食べていく事が難しい時代の中で、
学生のうちに、イラストレーションではなくイラストを描き続けるという事は一体どういう事なのか、
という事を、いま一度考える必要があるのではないかと思っています。

わたしもそんな教育を受けてきた若者のひとりなので、大きな事は言えないのですが、
ファッション関係の方やデザイン業界に関わっている方たちのなかで、
「社会の上にデザインがあるのではない、デザインが社会を作っているといっても過言ではない」
とおっしゃっていた方がおられたぐらい、イラストレーションもひとつのデザインで、
今の社会を創っていくうえで重要な役割を果たすものだと思うのです。

それでも、生徒達が自分の絵が「イラストレーション」でなく「イラスト」であって良いと思って
いるのであれば、残念だけどそれでいいのかもしれないとも思う。
しかしそうであると、この先かなり仕事になりにくいという事、
また仕事に出来たとしても発展しにくいという事を知っておく必要がありそうです。
抜群の才能をお持ちの方ならその心配はないかもしれないのだけど。
個性は売れていくために必要かもしれませんが、
個性的であっても仕事にならないものと、仕事になるものの差はいったい何なのかを考えれば、
一番大事なのは自ずと分かる事だと思います。


いまの時代背景を見ていると、イラストレーションはまさに原点に戻って、
現代的な広い意味あいでなく、本来のイラストレーションを追求すべき時に来ていると思うのですが、
しっかりとしたイラストレーションを学んでいない学生がいるという、この実態はいかがなものか。
これは非常に残念な事だと思います。
今でこそ、イラストレーションの本当の出番だと感じているというのに。

生徒達が自分のやり方で絵を勉強するのは良いとしても、
本来のイラストレーションの教育を受けた上でそうしているのか、
それとも全く知らずにそうしているのか、話していてたまに疑問符がたつ。



アートが売れないどんな不況の中でも、何か目的を「伝える」為の絵、
すなわちイラストレーションはいつの時代になっても必要でしょう。
イラストレーションが何かの目印になったり、
あるいは分からないことを分かりやすく説明するものであったり、
言葉が通じない国の者同士の会話を絵が助けてくれる事もあるでしょう。
そして今は、幸いそれをする事で「仕事」になります。
不況ですが、それで収入を得る事が出来、職業としてちゃんと成立する時代です。



現在、イラストレーションとは、
どこか企業や人から絵を依頼されて、相手に気に入っていただく事を目的として制作するものであると、
一般的に多くの方がそういう解釈をしておられます。
私が今までやってきた書籍の挿画やCDジャケットも、その例の一部として挙げられますが、
そういった事だけがイラストレーションの役割であるとは私は思わないのです。

今気が付かなければならないであろうことは、
イラストレーターはただ人に依頼されて描くというものではなく、
「自分で企画をプロデュースする能力があれば、それ以上に大きな可能性を持っている」
という事だと思います。
いまイラストレーターとして現にお仕事されている方は除いて、
これからまさにイラストレーターになろうとしている学生達は、
特にそういった事を考えていかねばならないと私は思うのですが、どうでしょう。

好きな絵を好きなときに描いてお仕事にされている方も現にいらっしゃるかもしれませんが、
しかしそれはほんの一握りで、それ以外はやはりそういう訳にはいかないでしょう。
現に私自身がそうであるから、そう考えるのですが。



ここまで人の事ばかり書いているように見えるかもしれませんが、
全て、今の私自身のイラストレーションを創るうえでの永遠の課題なのです。
自分に言い聞かせるためにも、あえてここに書かせて頂く事にしました。


自分なりに考えたところ、イラストレーションを学ぶということは、
絵を描く技術の前にまず知識が必要で、それは絵や画材についての知識だけじゃなく、
今の政治の事だったり過去の日本や世界の歴史だったりすると思います。
なぜなら過去を知る事から、現代に必要なものに気付くことができると考えるからです。
ひととおり絵の技法を学べば、あとは勉強に力を注いだほうが良いのかもしれないとさえ、思います。
意識が高ければ、技術は自然とそれに追いつこうとして成長するでしょう。


絵を職業にしようとしている人達の中には、
誰よりも売れたい、誰々の作家に勝ちたい、という考え方をする人がたまにいらっしゃいますが、
わたし個人的には、これからの時代はライバル視をしあうよりも、
もっとお互いが話し合い、そして絵という枠をこえてこれからの事について一緒に考えていく事が
必要となってくるのではと思っています。
学校側は授業の一環としてディスカッションするのもいいでしょう。
絵の技法を学ぶのに時間が精一杯で、実際的な配慮を追いかけて学生時代が過ぎていくのは寂しいことです。
それはどんなにその時忙しくても、後に残るものが非常に少ないからです。

本質的な事にちゃんと目を向けてしっかりと時代を見つめてさえいれば、
個性を追求する事をせずとも自ずと自分の立ち位置が見え、
自分が今一番何をすべきか見えてくると思うのです。
そして、自分がイラストレーションで何をすべきかも。

皆でそういう風に考えていると、大変だけれどもきっと私達の未来は明るいと
思えてくるとおもいます。

競争社会、勝ち負けの世界ではなくて、
これから本当の意味での「努力」が報われる時代になっていくとさえ、思うのです。
厳しい時代ですが、本来の「イラストレーション」を真面目に追求してきた人達にとっては好機だと思います。
本当の意味で絵で「伝える」事をしてきた人達が認められ、
今までの努力がこの先きっと報われていくような気が、私はしています。

個人的な話ですが、努力と聞けば私は「忍耐」や「継続」をまず思い浮かべてしまいますが、
それに加え「正しい思考」と「勇気」と「信念」も備わっていなければと自分に言い聞かせていきたいところです。

そして絵を描いていく上で、これはイラストレーションでもアート作品をつくるにしても共通して大事だと思うのは、
何度も言うように、今の時代を知り受け止める事だと考えます。
時代は絶えず動いており、価値観も自分自身も常に目まぐるしく動いている状態の中で「初志貫徹」がいつでも大事とは言い切れない。
臨機応変に対応していかねばならない。
何が起こるかわからない時代だからこそ、個性が大事!とか、プライドを持て!という単純なものではなくて、
目的を達成する事にのみ目を向けて行動できる精神的な「強さ」と、
何よりも万が一の事があった時に動じない「備え」が今必要だと思います。

何でもしっかりとした「備え」があれば、時代の浮き沈みに動じる事無く、
自分がうまくいかない事を政治や社会や時代のせいにする事は少なくなるでしょう。
そこで私はいまアーティスト活動だけに集中するのではなく、
時代に直接希望を見い出せるイラストレーションにも少し目を向けたいと思った次第なのです。

政治や社会や時代の被害者になるのは、みんな嫌だと思っている事でしょう。
しかしそれならば、日本の歴史問題、社会や政治についてきちんとした知識を身につけ、
積極的に参加していく必要があるのではないでしょうか。
もしそれらに関して無関心でありながら被害者意識を持っているのであれば、
政治に参加していないという事=肯定しているという事、になります。

勉強は一人でも出来る事ですが、欲を言うならば、
そういった事についてや、きちんとそういった事に参加していくという意識を持っての
しっかりとした教育を学生のうちにもっと受けたかったと、今になってそう思います。
個人的には、絵を描いていくうえでも、非常に大切になってくる事であるからです。



最近になってようやく、イラストレーションは人に役立つ可能性のある、
とても素晴らしいものだという事に私自身気付くことが出来て良かったと思っています。
個人的な話ですが、今まで「イラストレーション」に苦手意識を持っていたのは、
それは世の中に「イラスト」が多く、それさえもイラストレーションと呼ばれていたからかもしれません。
しっかりとした目的を持たない、時代にふさわしくないイラストを依頼されても
お受けするのは難しいなと感じてしまうのは、今から思えばもしかしたら当たり前の事だったのかもしれません。
それとは別に、単に個人的なコンセプトと合わなかったから、という理由でお仕事をお断りした場合もありますが。

アーティスト活動がベースになるとは思いますが、
イラストレーションのアイディアも既にいくつか出てきましたので、
何とか少しずつ形にしていきたいところです。


最後に、
長々と主観的見解を述べて若干の申し訳なさもありつつ、しかし

「イラストレーションは今の時代の希望のひとつになり得る」

と感じていますので、今の時代を乗り切っていくために、
必要な時に議論したりまた人と手を取り合ったりして、
皆さんと一緒にコミニュケーションの中からものを生み出していければ幸いと思います。




イラストレーターとして、アーティスト名とは違う名前でこっそりデビューしたら面白いだろうなあと思う
今日この頃。笑

このブログでは今までと変わらず、作家として、
イラストレーションでなく自分の自由な表現として作品等載せていきますが、
いつかまたひっそりと「イラストレーター」として別に活動したときは、
どうぞよろしくお願いいたします。

北鎌倉小舎「わたしの海について」

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昨年末の個展「わたしの海について」の写真をいくつかお見せしたいと思います。

展覧会詳細↓
http://ohtsuki.blog102.fc2.com/blog-entry-277.html

北鎌倉小舎さんという、昨年9月にオープンしたばかりのギャラリーでの展示でした。
場所は、ギャラリーの他に目立った観光スポットがあるわけでもない、
自然の多い穏やかな住宅街にひっそりとある、静かな静かなところ。
ギャラリーの窓から見える木には、リス(?)のような動物がいたり。
車の音も外の人の声も聞こえない、やさしい時間がゆっくりと流れていました。

都会を離れてこの場所で展示しようと思ったのは、
人ごみと美術的な場所から離れて、絵そのものを純粋に感じて欲しいという思いからでした。

また北鎌倉小舎さんのような、お家のような造りのギャラリーという事もあって、
絵を「観る」という事ではなく、絵を身近に、自分の生活の一部として「感じる」事を
して頂けるのではないかな…と思ったからです。

オーナーの たかはしまみ さんとは個展開催前に
「お客さん来てくれるかな…」なんて話していたのですが、
神奈川県内だけでなく関東地区のさまざまなところから、
また関東圏をはるかに離れた地方からのお客様もお越しくださって、とってもびっくり。

ほとんどのお客様がこの個展の為だけにバスに乗って、北鎌倉にお越し下さっていました。。
感激です。


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たかはしさんは私が会場に居れなかった日も、
お客様に解説して下さったり私の事もご丁寧に話して下さっていたようで、
また、搬入から搬出まで本当に素晴らしい気配りをして下さいました。

とっても素敵な方で、お会いできたことが嬉しかったです。
たかはしさんに心から感謝。


詩画集


今回は展示のコンセプトに沿って詩画集を制作しました。

好評だったので後々ネットショップでも販売いたします。
気になる方は是非またチェックしてみて下さい。


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壁に掛けられた大きいキャンバスの絵もいいのだけれど、玄関近くのこのコーナーが
ひそかにとても気に入ってました。↑
マリア様の置物が素敵。欲しいな。


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上の写真は本棚を利用したコーナー。
元々色んな本が入ってたのですが、中身を取り除いてもらい、
ポストカードサイズのドローイングをたくさん散りばめました。

これは搬入時にお手伝いしてもらったアーティスト外原俊さんの案なのですが、
ドローイングを自然にバラすのに苦労しました。
私がやると、どうしてもきっちりしすぎて不自然に見えてしまいます…

本棚の上には飛び出す絵本風の作品。


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そしてそして、ここ、どこだかわかりますか?↑

実はこれ、トイレの中なんです。
ポストカードのドローイングが3枚貼ってありました。
トイレに行ったお客さんしかわからないっていう。笑
中がとても広くて、いい香りがして、照明も小物も素敵で、本棚もあって…
思春期の頃の私なら間違いなく引きこもるであろうトイレ。。


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玄関口ちかくに、ちゃんとDMの絵も展示してました。
右写真は飛び出すカードの作品。(下にメッセージも書き込めるのだ)


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会場にはピアノがあるので、何人の方かにドビュッシーのアラベスクを弾いてもらいました。
27日は京都から来てくれた母親に、最終日の30日にはお客さんとして来てくれた女の子たちに。。


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これ、ピアノを昔に辞めちゃった女の子達にいきなりお願いして弾いてもらったんです。笑
調律されていないピアノから出てくる、どことなくたどたどしいメロディーは
大きな絵と溶け合って不思議な効果を生み出してました。
「ぎゃー間違えた!」とか何とか言いながらも最後まで弾いてくれた女の子に感謝。
ありがとう*


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なぜドビュッシーのアラベスクを弾いてもらったのかというと、
その楽譜を使った作品を今回展示していたからなのです。↑
作品の中に詩が入ってます。


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ピアノ好きの母には将来こんなレッスン室をプレゼントしたいす。↑


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飲み物を注文できるので、こんな風にお客さんとお茶飲みながら話したり作品見たり、まったりしてました。


最後になりましたが、来てくださった皆様と開催に至るまでにお世話になった方々、
本当にどうもありがとう御座いました。


またこんな風に、地方でひっそり展示をしたいです。
北鎌倉、だいぶお気に入りになってしまったので、
みなさんまたいつかきっと、ここでもお会いしましょう***

2009

せめてもう一度


2008年は自分自身を試す年だった。

とにかく収入が入ればすぐに、ほとんどといっていいほど全て制作活動にお金をつぎ込んだ。
おかげで友人達との付き合いも悪くなってしまって大変申し訳なかった。
洋服も、今まで買いためてきたたくさんの本も、お気に入りだったものもほとんど全て手放した。
とにかく真っ白な状態で絵が描きたかった。
お金が無くて食べるものが無くなって、どうしようかと思った時もあったけど、何とか普通に生きれた。
たまに友人達におごってもらったりもした。(ほんとありがと)
熱を頻繁に出してよく寝込んだりもしたけど、おかげでぼんやり色んな事を考える時間が出来た。


昨年ずっと考えていた事は、10年後にはどうなっているか、という事だった。
それは私自身がどう、とかではなくて、
日本が、世界がこれから何を求めるようになるんだろうとか、
この先の子供世代はいったい何を思って生きていくんだろうとか、そういう事。

そう考えていくとやはり「絵」とは、
一番人に伝わってほしい時に伝わりにくいもの、なんじゃないかと思うようになった。

たとえば、環境問題の事をコンセプトにして作品を創ったとして、
それがいくら頑張って環境の事を思って作品を描いて
それで美術的に認められて有名になったとしても
本当に環境で苦しんでいる人達にとっては「絵」なんて必要ないわけで、
「絵」を娯楽にして楽しめるような、心に余裕のある人達が絵を見て何か感じたりしてどうこう…
ってのはもう既に色んな人達がやってる事で、
本当に人を助けたいと思ってるならもっと違うやり方があるんじゃないのか、とか思ったりした。

私自身、絵にメッセージを込めている割には、
なんだか遠まわしなやり方で責任逃れみたいな事をしている様で、
その割にはなんとなく正義の味方をしているような絵を描いていることに
罪悪感を感じる事があった。

一番大切なのは絵を描く事ではないと、自分自身に言い聞かせてみたりもした。
だって日々の生活の中で自分が何をしているのかが大事なのだ、ほんとは。
その中で抱えきれない思いがあるから絵に描くわけで、
本来、私自身がそうであったはずなんだよなあ…と、忘れかけてた思いを取り戻した。

生きていく事、人生そのものが「アート」であると思う。

その事を踏まえたうえで私がこれからどんな絵を描いていきたいのかというと
「10年後に見た時に良いなと思える絵」
であって、それを描けるようになる事が2008年の目標だった。

今まさに良いと思えるような絵を描いてても何にもならないと思った。
今良いと思えるものは比較的わかりやすいもので、
うまく言えないけど、そういうものを、なんだかどうしても描きたくなかった。
どうしようもない不快感があった。

10年後もその先もずっと残るものを創るという挑戦をする事は、
今までの数々の経験なんて何の役にも立たなくて、
全く何も無いところから何を感じる事が出来るのかという事をひたすら考える、孤独な作業でした。


1年間でどれだけの事が出来たかはわからないけど、
2008年末の個展ではその集大成を見せたつもりです。
正直に言って、自分でコンセプトをうまく説明出来ないほど、
わかっているふりをして、実はよくわからないものを創った。

だけど、私の絵を見てくれた人達に頂いた感想の中で、
私の中に色んな答えを見つけることができました。少しだけ。
胸がいっぱいになるような数々の感想を頂けて、
2008年がとても良い締めくくりになった事に心から感謝しています。

10代の女の子が「絵を見たら泣いた」だなんて、私が泣きそうです。。

いっぱいお話して下さった方々、地方から来てくださったお客様もいて、
来てくださった皆様にとても力をもらえました。

個展では、これからもっと素直に表現していきたいと思える、本当に良い時間を過ごしました。
本当にどうもありがとうございました。

また仕事が落ち着いたら個展レポートします。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

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作家 : 大槻 香奈

Author:作家 : 大槻 香奈
美術作家/イラストレーター
お問い合わせは以下の大槻香奈Webサイトよりお願い致します。

http://ohtsuki.rillfu.com

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